法然上人二十五霊場 第二十番 |
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浄土宗西山深草派 総本山 本尊 阿弥陀如来 |
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誓願寺は天智天皇七年(六六八)、天皇の勅願により創建された。 もと奈良の尼ヶ辻あたりにあったが、平安末期に京都の一条小川(こかわ)(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、その後、天正十九年(一五九一)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在の三条寺町の地に移された。
当寺は京都の中心地に位置するために戦乱等の影響を受けやすく、これまでに十回もの火災に遭っている。 しかし、そのたびに多くの信者たち[に]よって再建され、現在の鉄筋コンクリートの本堂は昭和三十九年に建てられた。 度重なる火災の悲劇は、かえって多くの人々を誓願寺に結縁させ、念仏の信仰を育んできたのである。
清少納言、和泉式部(いずみしきぶ)、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高い。 また源信僧都は当寺にて善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った。 法然上人が興福寺の蔵俊僧都より当寺を譲られて以降、浄土宗になったという。 現在は、法然上人の高弟・西山(せいざん)上人善恵房(ぜんねぼう)證空(しょうくう)の流れを汲む浄土宗西山深草派(せいざんふかくさは)の総本山である。
第五十五世安楽庵(あんらくあん)策伝(さくでん)上人は、優れた説教師であるとともに、松永貞徳・小堀遠州らと親交を深めた文化人であり、笑い話を集めた『醒睡笑(せいすいしょう)』八巻を著したことで「落語の元祖」と呼ばれいる。 その策伝上人の卓越した遺徳を偲び、これにあやかるため、境内に芸道上達を祈願する「扇塚」が祀られている。
出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』
更新日:2015/03/03