法然上人二十五霊場
第二十五番
か ちょう ざん ちおんきょういん おお たに でら
華頂山 知恩教院 大谷寺
浄土宗 総本山
本尊 法然上人像
御詠歌くされたる野辺のべに たゞひとり
 まつのみのこ彌陀みだ本願ほんがん
住 所
電 話
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備 考通称:知恩院

 知恩院は、元祖法然上人によって開創された、お念仏の根本道場であり、浄土宗約八千ケ寺の総本山である。 法然上人は、黒谷青龍寺報恩蔵において浄土開宗の法門を見出され、比叡山を下り西山広谷の地から、東山のこの地に吉水の草庵を結ばれた。

 青蓮院の慈鎮和尚の好意により上の房、中の房、下の房の三房が構えられ、法然上人は常に中の房(今の御影堂のあたり)に住まわれ、京洛の老若男女の民衆を教化されたと伝えられる。

 建永二年、法然上人は讃岐にご流罪となるが、五年の後帰洛され、建暦二年(一二一二)正月二十三日、弟子勢観房源智上人に「一枚起請文」を授け、二十五日多数の門弟に見守られ、お念仏の中に静かに大往生せられた。

 弟子智源上人は、師上人への追慕の念篤く、知恩報恩のため阿弥陀仏像の建立と、法然上人の御遺骨を奉安する御廟を建立し、専修念仏の本拠、御遺跡興隆に尽力された。

 時下って、徳川時代になり将軍の帰依を受け、家康公母君傳通院殿の菩提のため、秀忠公、家光公の二代にわたり現在の堂塔伽藍が整備された。 境内は東山三十六峰の中心、華頂山を背景に最上段の御廟、勢至堂、歴代お墓等、中断の御影堂(大殿)を中心に小大方丈、集会堂、庫裡諸堂、下段の三門、和順会館、塔頭寺院等を配置し、あたかも浄土三部経の中、観無量寿経に現れている九品の浄土の姿さながらの美観を呈し、全国の浄土門檀信徒の心のふる里・おてつぎ運動としての信仰をあつめている。

出所:『圓光大師 法然上人御霊跡 巡拝の栞』

≪三門≫
 三門は高さ24m、横幅50mで、使われている屋根瓦が約7万枚。日本における木造建築として最大級の二重門で、掲げられている「華頂山」の額の大きさはなんと畳二畳以上もあるそうです。
≪阿弥陀堂≫
≪梵鐘≫
 知恩院といえばこの大梵鐘。 大晦日の除夜の鐘の中継でTVによく登場するので、ご存じの方も多いでしょう。

更新日:2022/03/26