聖徳太子御遺跡 第七番 |
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曹洞宗 本尊 阿弥陀如来 |
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南海の香木
吉野川を挟んで南朝の哀史で知られる吉野山と対峙する大淀町の山里に、古くは比曽寺、比蘇寺、吉野寺などと呼ばれた世尊寺がある。 用明天皇2年(587)に聖徳太子が父帝への孝養のために建立したと伝えられ、「比曽のお太子さん」と親しまれている。
『日本書紀』によると、欽明天皇14年(553)「河内国から『泉郡の茅渟の海中から仏教の楽の音がします。 響きは雷の音のようで、日輪のように美しく輝いています』と知らせてきた。 天皇が不思議に思って探らせたところ、海中に美しく光輝く樟があった。 そこで画工にその樟で仏像2躯を造らせた。 これがいま吉野寺に光を放っている仏像である」と記されている。
寺伝では、この2躯の仏像のうち一つが本尊の阿弥陀如来坐像だと伝えている。 この本尊はたびたび妙光を放ったため、寺は古くは「現光寺」とも呼ばれたという。
世尊寺は境内全域が国指定の史跡になっているが、太子が築いたと伝える東塔は、文禄3年(1594)に豊臣秀吉によって伏見城に移され、されに慶長6年(1601)に徳川家康に手で大津の三井寺に移築された(現在も国の重要文化財として残っている)。 また、推古天皇が建立したという西塔は今はない。
わずかに本堂裏にある「檀上桜」の朽ち倒れた古木が、太子手ずから植えた桜だと伝える。 しかし、その倒れた古木から何本もの新しい桜が幹を伸ばす姿は、今もなお人々の信仰の中に生き続ける太子を象徴しているかのようでもある。
出所:『聖徳太子の寺を歩く』から抜粋
≪山門≫
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≪太子堂≫
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更新日:2019/09/23