聖徳太子御遺跡
第十九番
だる ま じ
片岡山 達磨寺
臨済宗南禅寺派
本尊 聖徳太子、千手観音、達磨大師
納経題字飢人相見伝説地
住 所
電 話
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備 考

片岡の飢人

 奈良県王寺町に達磨寺という禅寺がある。 本堂には千手観世音菩薩せんじゅかんぜおんぼさつ像を中心にして、左側に聖徳太子摂政像、右側に達磨大師だるまだいし像が安置されている。 ここは太子が達磨大師と出会った伝説の地として知られる。


 『日本書紀』によると、推古天皇21年(613)、太子が斑鳩宮からほど近い片岡山にやってくると、一人の飢えた旅人が道に倒れていた。 太子は憐れに思って食物を与え、上衣を脱いで掛けてやった。 翌日、気になった太子が使いをやると、飢人はすでに死んでいた。 太子は大いに悲しみ、その場に埋葬して塚を築かせた。

 数日後、太子は側近に墓を見に行かせた。 するとそのしかばねはなく、太子が与えた衣だけがひつぎの上に畳んで置いてあった。 太子は死者が持ち帰ったその衣を、何事もなかったように再び身につけた。

 また、『聖徳太子伝暦』によると、その飢人は頭が大きく、顔も耳も長い異相の持ち主で、細い目の奥には金色の光を宿し、体からは馥郁ふくいくと良い香が匂っていた。 太子と問答をしていたが、侍者には二人が何を語り合ったのかわからなかったという。

 後世、その飢人こそ有名なインドの禅僧・達磨大師の化身だったという伝説が生まれた。

 達磨寺は、推古天皇の発願で太子が飢人を葬った墓の上に一堂を建て、太子自らが刻んだ達磨の木像を安置したのが起こりと伝える。

出所:『聖徳太子の寺を歩く』から抜粋

≪山門(南門)≫
≪本堂≫
 達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳の上に本堂が建てられています。

更新日:2019/09/23