西国三十三所 第二十二番 |
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高野山真言宗 本尊 |
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越前守高房の発願で、その子中納言政朝の建立。
長谷観音に対する信心で子政朝の一命をとりとめた高房の死後、政朝が長谷観音に詣り霊像を感得し、仁和2年(886)この地に千手観音像を造立し堂宇を建てた。
更に4年後政朝の子らが七堂伽藍を建立したと伝えられる。
本堂は豊臣秀頼により慶長8年(1603)再建されたといわれるが、元亀、元禄の猛火にも無事に残ったので、子守、火除け観音と呼ばれる。
出所:『西國三十三靈場納経帖』
≪山門≫
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≪本堂≫
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更新日:2019/09/14