近畿三十六不動尊 第十四番 |
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真言宗御室派 総本山 本尊 阿弥陀如来 |
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この寺は、第五十八代光孝天皇が、国家鎮護安泰を願って、大内山麓に大伽藍を建てようとされたのがはじまりである。 しかし、完成を見ず崩御されたので、第三皇子が即位され、第五十九代宇多天皇となられ、翌、仁和四年(888)の秋、金堂が竣工したのである。 この宇多天皇が、当仁和寺の開祖、第一世門跡である。
この寺の歴史も決して平坦なものではなかった。 特に応仁二年(1468)に勃発した応仁の乱によって数百のの堂塔伽藍が悉く炎上焼失した。 そこで双ヶ岡の西麓に僅かな堂舎を建て法灯を護っていた。 仁和寺の本格的復興は、江戸時代初期である。 即ち、寛永十二年(1635)徳川三代将軍家光が二十数万両を寄進し、復興に着手した。 国宝の金堂は、天正年間信長建立の御所の紫宸殿を、また、重文の御影堂は、同清涼殿を賜ったもので、仁王門等と共に、寛永十八年(1641)から同二十年にかけて完成、今日の威容を誇るに至った。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
更新日:2018/11/02