近畿三十六不動尊
第十七番
まん しゅ いん もん ぜき
曼殊院 門跡
天台宗 
本尊 阿弥陀如来
札所本尊黄不動明王像(絹本著色)
御詠歌法のため 我がたつ杣木 ひくからに
 月もくもらぬ 世を祈るかな
住 所
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備 考

 曼殊院門跡、いかにも艶めかしい響のする呼び名である。 「曼殊まんしゅ」とはMañjuの訳で、意味は「妙楽」とか「愛楽」即ち妙なる楽しみ、愛らしい楽しみと云うことになるようである。 やさしい、奥ゆかしい、美しい、理想的な、本当に優れた楽しみ、そのような内容を表わしているのである。

 また、門跡とは御門みかどの跡、一門の法跡、帝の後と云う意味で、天皇や皇族が、住職となられた寺院のことを指すのである。

 この寺は、伝教大師が延暦年間、比叡山に一坊を建てられたのがはじまりと云われ、降って是算国師のとき、西塔北渓に移し「東尾坊」と呼んだ。 是算国師以前のことは、明確でないので、是算国師を第一世とし、現門跡[1]は第四十世にあたる。 天暦年間(947〜56)に北野神社が造られ、是算国師が別当に任じられてから、明治維新まで、九百年間、曼殊院門跡が北野神社の社務を管理してきた。 天仁年間(1108〜9)に忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、後、北山や京都御所の傍にかわり、明暦二年にこの地に移り今に至っている。

 高野山明王院の赤不動、京都粟田口青蓮院の青不動、大津三井寺の黄不動を三不動と云うが、三井寺の黄不動は、人目に触れることを許されず、秘仏として保存されている。 曼殊院の黄不動は、三井寺のものを、平安後期に写したもので、新国宝に指定されている。

出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋


[1]原稿が書かれた昭和53年(1978)当時の門跡です。

更新日:2018/11/02