近畿三十六不動尊
第二十一番
し うん ざん なか やま でら
紫雲山 中山寺
真言宗中山寺派 大本山
本尊 十一面観世音菩薩
札所本尊五大明王(不動坐像、その他立像)
御詠歌むらさきの 雲の峰々 中山の
 衆生たすくる 五大尊
住 所
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備 考

 当山は真言宗中山寺派の本山で「紫雲山」の山号を持ちます。 創建は『日本紀』に「四天王寺に先ずること四年」とあり、589年であるとされ、聖徳太子が政敵、物部守屋の霊を鎮め、仲哀天皇の后・大仲姫と皇子・忍熊王を弔うため、紫雲たなびく阿比古の山に建立されたと言われております。

 大阪湾の内陸への進入時代において当地は武庫川の大三角州の奥まった波静かな良港で、寺領近くには小浜と言う名の残る宿場町があり、現在は小高い台地になっています。 つまり、瀬戸内海を旅して来た外国使や商人が集る地域であったと考えられます。 そこに外国人接待所を兼ねた総合大学的役割を持つ寺院を建てることで、太子特有の日本の力量を誇示する目的があったとしても不思議ではないでしょう。

 その後、文武天皇の世、慶雲三年(706)に大和長谷寺の徳道上人が伊勢宮を拝して、本地天照大神より日輪を感じ、十一面観世音を感得され、三十三所観音霊場を定めて中山寺を第一番、本邦初の観音霊場とされました。 また、宇多天皇が当山独鈷尾に別院をおかれた時から、それまでの法相三論兼学の宗派から真言宗に改宗して、阿比古の嶺、独鈷尾一体の神所、および厄神明王信仰が深まり、十一面観世音、またはそれを信仰する人々の守護として五大明王を勧請して不動信仰が盛んになります。

出所:『改訂新版 三十六不動尊巡礼』から抜粋

更新日:2018/11/02