近畿三十六不動尊 第二十二番 |
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天台宗系単立 本尊 不動明王 |
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この寺は大治五年(1130)鳥羽上皇の勅願によって創建されたもので、本尊の不動明王像は勅命により、興教大師が刻まれ、皇居を守護するために北向に安置して北向山不動院と呼んだ。
その後、近衛天皇の久寿二年(1155)諸堂が完成したが、応仁の乱(1467)の兵火にて堂塔伽藍が全く焼失した。 後土御門天皇の文明六年(1474)に再建されるも、また後柏原天皇の大永五年(1525)に火災のために本堂古文書等を焼いたが、本尊等は御無事であった。 翌年には本堂及び庫裡が復旧した。
後奈良天皇の享禄元年(1528)法眼仏師によって、痛[1]んでいた本尊並びに諸堂を修繕した。 また後陽成天皇の文禄五年(1596)七月十五日、地震のために堂宇が破損したので、後水尾天皇の寛永二年(1625)、仏師大蔵郷がこれを修復し、新たに客殿方丈等も造営された。 今の本堂は、中御門天皇の正徳二年(1712)東山天皇の旧殿の御下賜を受け、移築したものである。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
近鉄京都線・京都地下鉄烏丸線竹田駅から徒歩約10分。 |
≪本堂≫
ご本尊の不動明王像は重要文化財の秘仏ですが、1月16日の大護摩の時だけ開扉されるそうです。 |
[1] | 「傷」の方が適切かなと感じますが、原文通り「痛」と表記します。 |
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更新日:2018/11/02