近畿三十六不動尊 第二十七番 |
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天台宗 本尊 千手観音 |
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この明王院は、北嶺回峰行の根本道場、比叡山無動寺の奥の院とも云われ、その開基は相応和尚である。 相応和尚は、十五才で比叡山に登り修行を積まれ、二十九才の貞観元年(859)にここ葛川において、三年間穀食を断ち、不動明王の御真言十万遍を唱え苦行をされ、葛川上流二粁の一の滝で千手観音を、二の滝で毘沙門天を感見し、更に上って第三の滝において、生身の不動明王の出現を拝し、喜びのあまり抱き奉ったところ、たちまち不動尊が桂の大木になったという。 その大木をもって三体の不動明王像を刻み、その根本の方(坐像)を無動寺に、中の方(立像)をここ葛川に、末の方(蓮台坐像)湖東近江八幡市の伊崎寺にそれぞれ安置されたのである。
相応和尚は、回峰行を創設し、それを定着させると共に、息障の霊験を顕し、延喜十八年(918)の秋無動寺谷の十妙院において没するまでの八十八才の生涯は、文字通り厳しい苦修練行そのものであり、その業績は誠に偉大である。
明王院は比叡山回峰行者の修練の道場であるため、相応和尚にならい、ここに或る期間参籠して行の完成となるのである。 これが「葛川夏安居」と云い、現在は毎年七月十六日から二十日迄で、今流に考えると、合宿訓練と云えるかもしれない。 そして、この間一般の人も一部参加が認められている。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
JR湖西線堅田駅または京阪出町柳駅前からバスで坊村下車、徒歩2分。 |
≪本堂≫
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更新日:2018/11/02