近畿三十六不動尊 第三十番 |
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浄土宗 本尊 如意輪観世音菩薩 |
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ここ如意輪寺は、塔尾山椿花院と言って、延喜三年(904)日蔵上人が開かれ、その後、盛衰をくり返しながら現在に至っている。 今の如意輪堂は慶安三年(1650)に再建されたもので、楠木正行が辞世の歌、かえらじと かねて思えば 梓弓 亡き数に入る 名をぞとどむる と鏃で書き残した、かの名高い扉(現存)は、現在の如意輪堂の再建前の堂の扉である。
如意輪寺の境内に入ったすぐ左手に小さなお堂があり、中に不動石仏をお祀りしている。 昔、吉野山に上る不動坂に祀ってあったが、“如意輪寺へ行きたい”とのお告げで、如意輪寺の下へお移しした。 しかし、今度は“上へ行きたい”とのことで、四十年前[1]に現在のところへ安置したのである。 不動坂にお祀りしていた時のこと、牛車が転落した折、身代わりに左の御手を負傷され、人命を救われて以来、交通安全の守護神として信仰が厚く、また、耳、目、鼻の病気に霊験あらたかなものがあると言われている。 いつの頃からか、土地の人は、難儀なこと、困ったことをお救い下さるお不動様、難を除いて下さるお不動様として、難切不動と呼ぶようになっている。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
近鉄吉野線吉野駅から徒歩約35分。 吉野山が桜の山になったのは、役行者が修験道の本尊・金剛蔵王権現を桜の木に刻んだという故事に因んで、献木が長く続けられたからだそうです。 如意輪寺境内も桜が美しく咲き誇ります。 |
≪難切不動尊≫
日本最大の石の不動尊だそうです。 |
[1] | 『近畿三十六不動尊』の原稿は昭和53〜54年に書かれているので、そこから40年前ということは昭和13〜14年(1938〜39)頃の出来事ということになります。 |
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更新日:2018/11/02