近畿三十六不動尊 第三十二番 |
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真言宗智山派 本尊 不動明王 |
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この寺の開創を尋ねると、古く平安の昔、嵯峨天皇の弘仁十二年(821)、弘法大師が、国家の安泰と万民の幸福を願って、自ら本尊の不動明王、脇侍の二童子を刻みお祀りになったと伝えられ、この不動三尊像は、重要文化財に指定されている。 本尊と両脇立の矜羯羅童子、制多迦童子が揃って、当初からのものというのは珍しく、特に不動様のお持ちの宝剣も最初からのものである。
はじめは、今の地より南へ約一粁の嶽山の中腹にあったが、二度の兵火により、現在地へ移されたのである。 最初の兵火は、正平十五年(1360)足利義詮の嶽山、金胎寺城攻めである。 この時、御本尊と両童子は、谷間にかかる滝の下に難を避けられ無事であったが、後、一人の盲僧の勧進によって、本堂が再建され、不動三尊がそこに安置されると、盲僧は忽ち晴眼となって何処ともなく立ち去ったと云う。 この盲僧は弘法大師の化身であり、衆生済度の方便として、大師がお示しになったことと信じられ、眼病平癒の霊像として、特に信仰を集めるようになった。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
近鉄長野線滝谷不動駅から徒歩15分。 |
≪本堂≫
境内は本堂から道を挟んで南側にも広がっています。 一願不動堂の先に滝不動堂と滝行場があり、行場の前で「身代わりドジョウ」を川に流すと、ドジョウが身代わりになって厄を流してくます。 |
更新日:2018/11/02