近畿三十六不動尊
第三十四番
いちじょうざん だいでんぽういん ね ごろ じ
一乗山 大伝法院 根来寺
新義真言宗 総本山
本尊 大日如来
札所本尊錐鑽(きりもみ)不動、身代不動(木造座像)
御詠歌ますかがみ うつしおこする すがたをば
 まことにみよの ほとけとぞみる
住 所
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備 考

 錐鑽きりもみ不動尊、如何にもユニークなニックネームのお不動様もいらっしゃるものだ、と私は思った。 身代り不動とか、厄除不動とか、波切不動などと呼ばれるお不動様は多くある。 このお不動様も、別名、身代り不動尊とも呼ぶ。

 真言宗の中興の祖と仰がれる興教大師こうきょうだいし覚鑁上人かくばんしょうにんは、衰微した真言宗を建て直すため努力し、高野山に大伝法院、密厳院等を建て、大伝法院の第一世座主となり、金剛峯寺の座主をも兼ね、高野山全体を統治することになった。 従って大師の徳を慕い、行をなし、教えを乞う者が日々に増えて来た。 しかし、大師の名声が上がり、その勢力が増して来たこと等を、快しとしない者から反対運動が起こった。 争いを好まない大師は、両座主の職を、同門の真誉しんよに譲り、懺悔と無言の行に入った。 この時作られたのが有名な「密厳院発露懺悔の文」である。 無言の行を続けること四年以上に及んだ保延六年(1140)の暮、遂に大師の住寺密厳院が襲われたのである。 この時、不動三昧に入っておられた大師は、不動明王と区別がつかなかったので、やじり(矢の尖った部分)で膝を、錐で穴をもむようにもんだところ、不動明王の木造の膝から血が流れ出た。 そのため大師はかすり傷一つ負わず、難を免れたということである。成程、錐鑽不動であり、身代り不動であり、厄除不動である。

出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋

更新日:2020/01/13