祇園祭 山鉾巡行 前祭 |
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蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。 その起源は南北朝時代で、足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(一二九二〜一三五二)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後二十五年目の永和二年(一三七六)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。
その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(一八六四)でその大部分を消失してしまい、昭和五十六年、百十七年ぶりに再興された。
蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。 前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。
出所:『蟷螂山』京都市駒札
更新日:2017/09/20