別れを惜まれる中に何處よりか唐臼を搗く音を耳にせられ打驚き直ちに吉祥院を拜し、天神川に浴[1]ひて鳥羽街道に出で南下し草津(今の下鳥羽)より乘舟し給ふ、
生涯は定まれる所無く運命は昊天にありと云ひながらも御心の中如何ばかり悲しくおほし召けむ行々跡を返り見て一首の歌を詠みて北の方お政所即ち吉祥女に贈り給ふ。
君が住む宿の梢を行々も
かか[2]くるゝ迄でもかへり見しはや
此時より當吉祥院の森を見返の杜と稱するに至る
又此御歌にても吉祥女が此の吉祥院の森の邊に御住み給ひしことも明にするに足る。
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(一)北野誌天神の古事卷物 干中
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『吉祥院淸公遣唐使のとき傳慶同船にて浪あれしとき淸公のため傳慶祈り申天女あらはれ舟をすくふ。
歸朝の後此兩人作二天女一其とき建立の地なり、菅神もすみ玉こと、左遷のときも此處より首途す』
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(二)國花萬葉記 干中
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『吉祥院宮 東寺の未方吉祥院村平林の中に有云々菅公左迀[3]の日も此所より首途し給ひて桂川の舟にうつり給ふと也。
別離の時よませ給ふ御歌
君が住宿のこずゑをゆく/\も
かくるゝ迄にかへり見しはや』
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(三)雍州府志 干中
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[4]吉祥院 左遷月亦自二茲處一首途』
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『吉祥院 筑紫貶謫日亦自斯院首途於草津乘船云々』
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『又菅神亦吉祥院此處(草津)乘船晴故里の杜の木末遠行々茂加具留々麻氐爾眺杜也禮之詠歌依之此處稱見返杜』
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(四)津きねふ七 干中 貞享初年北村季吟著
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『吉祥院 唐橋の南東寺の未申に森見ゆる其內なり
菅亟相の御影吉祥天女を安置す亟相の北の方こゝにおはす其故に吉祥女と申す北野の本殿三座の一也
吉祥天女に混すべからず諸々傳に功德天を吉祥天といへり所視所至方能令下一衆生、受中諸快樂上』
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(五)扶桑京華志 干中 寳[5]文五年十月著
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『古河 在下鳥羽西菅神貶在之日視吉祥院之舊宅有森木末之詠有見返森』
『琴彈橋 在二洛西久世卿[6]一相傳菅道眞貶在之時渡レ此哀レ離二家卿一』中山氏の註に「菅公久世の方へ御越になりしことなし之れも誤なり」とあり
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(六)京羽二重織留卷四 干中
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『下鳥羽の西古川あり いにしへ西國左遷の人多くは此川より船に乘て狐川に出侍ると、
菅神も遠流のとき吉祥院より此所に來り船に駕し給ひ時に古さとの森の木末をゆく/\もかくるゝまでに詠こそやれの詠歌あり
依レ之此所の森を見返の森と云』
註に曰く古川にあらず草津の誤なり
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(七)各[7]所都鳥 干中 元祿三年二月著
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古川 紀伊郡 下鳥羽の西にあり
いにしへ西國へ在[8]遷の人おほくは此川より舟に乘。
狐川に出づ菅亟相も又吉祥院より此處にきたり舟に乘給ふ時。
「我やどの(古さとの)杜の木末を行/\もかくるゝまでは詠社やれ」との詠歌此所なり
よつて見返しの森と云有』
註古川と草津との誤なり
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『見返の森 紀伊郡 西の岡古川のほとりにあり
菅亟相さすらひのときの詠歌ありし所なり
くはしく古川の所に出せり
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(八)近畿歷覧記 干中
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『此の七難田の宅に簾中田口氏を移さる、左二遷筑紫一の前夜名殘りをしみに此の所に一宿あり自像を寫し玉ふ世、[9]に傳る一夜白髮の像是也、
翌朝出玉ひ上鳥羽の東、古川の渡と云へる所より船に乘り玉ふ此の所は古より西國へ流さるゝ人の舟に乘れる所とみえて平家物語にも見たり
天神此の所にて君が栖む宿の木末をゆく/\もかくるゝまてにかへりみしかなと詠し玉ふ
其の所を見かへりの森と云ふ
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(九)雍州府志一 山川門 干中
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『古川 在二下鳥羽西一古赴二西國一人自二斯所一乘レ船出二難波一神亦左遷日自レ茲乘レ船顧二吉祥院杜一云草津亦斯邊也』 註草津より乘船する者も必ず古川に立寄り一時休み又船に乘りかへらるゝこともあればなり。
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『見返杜 在二西岡古川邊一菅神貶謫時出レ自二吉祥院一於二斯處一顧二故園樹梢一而所レ詠レ歌也』
菅公當地より左遷の途につき給ひしが御夫人北の政所は淚ながらに成人せる御子達の住み給ひし紅梅殿の御整理をなし給ひ吉祥院にてさびしく悲しき年月を送り給ひしなり。
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(一)吉祥院天滿宮舊跡 干中
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○北の政所御屋敷跡 現今本社より南一町餘の所に政所町とて十數軒の民家散在す是れ即ち御屋敷跡なり。
北の政所は田口達音の御女宣來子にて當吉祥院に生れ給ひ當地にて世を去り給ひければ吉祥女と申し上ぐるもうべなり。
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(二)同前 干中
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○御政所の御墓所 右政所町の西端田園中に小塜ありお政所の御墓と云ひて存し現今塜上に大日如來を安置して禮拜供養も行ひつゝあり。
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(三)山城四季物語 干中
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『九月四日北野天神祭の事
御寶殿三座の神なり、中ハ天滿天神(菅相亟[10])東ハ中將殿(菅三品嫡子)西ハ吉祥女、是菅亟相の北の御方なり京童の吉祥天女と心得たるはあやまりなり、
都の西南吉祥院に住給ひし故の御名也』
[1] | 「浴」に似た少し違う字ですが、そもそも「沿」の誤記のように思われます。 |
[2] | 「か」が一文字余分ですが、原文通り表記します。「隠るるまでも」 |
[3] | 「遷」の異体字「迁」の誤記と思われますが、原文を見たまま「迀」と表記します。 |
[4] | 「『」の表記漏れと思われますが、原文通り表記します。 |
[5] | 「寬」の誤記ですが、原文通り表記します。 |
[6] | 「郷」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[7] | 「名」の誤記ですが、原文通り表記します。 |
[8] | 「左」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[9] | 「玉ふ、世」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
[10] | 「亟相」の誤記と思われますが、原文通り表記します。 |
更新日:2021/02/13