吉祥院天滿宮詳細錄 第六章 p188 - 194
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(四)北野文叢 紀文部天神記上下 干中
待賢門院の若宮にておはしましける時、 女の衣の失せたりけるを、あしざまにいはれける女、北野の社に籠りて歌よみまいらせける。 「おもひきやなきなたつ身はうかりきとあらん人神になりしむかしを」 とよみたりければ、其日やがてしき島と云ふはした者ぬすみたりけるが、 手づからきて、鳥羽院の御前にてぞ狂ひける。

次部卿の子にて世寺の阿闍梨仁俊とてき人おはしき ある女彼僧は女に心ある由を鳥羽院に讒言申たりけるを阿闍梨安からず思ひて北野の社に籠てかく、 「あはれとも神々ならばおもふらん人こそ人のみちはたつとも」 とよみたりけり[2]る時彼女紅のの袴ばかりをきて手に錫杖をふりて仁俊に虛言いひたる報ひよと立て狂ひければ院宣にて北野へ仁俊を召しにつかはして、參りたりければ護身をし給ふほどに、頓て覺めにけり 仁俊にはうす墨と云ふ御馬をなんひかれ、其上に種々の錄をぞ給はりける。

仁和寺に阿闍梨某と云ふ者ありけり、 北野西の京の旅におはしましける時車に乘りながら御前をりけるに、其牛俄に倒れふして死す、 阿闍梨步行よりにげたれども、やがて病つきて三年なやみけり、 北野にたいしやう申などして命いきたりけり、 か樣の事どもかぞへつくすべからず。

延久二年九月の比、仁和寺に池上と云あり、 僧西念と云者、五十ばかりにて北野に百日籠て終日終夜祈する事あり、 人々あやしみて無實などをいのるやと申あひける程に九月十三日と申曉、詩匠とたのみたる僧を呼びてなく/\申けるは、西念旣に年來の本望叶ひて候、 此正月に熊野那智山に參りて百日籠て臨終正念往生極樂の定日、 何れの日と示し玉へと祈し侍りし夜の夢に、 御戶を開て七十餘の老僧の額の浪きびしく頭の霜さへて、 け高き御姿にて仰らるゝ樣汝が申の往生の日、我心にはからひ難し、 北野の宮に參りて祈申すべしと示現を𫎇りて侍りしかば頓て參詣して祈り侍ほどに此曉まとろみて侍りつるに御殿より直衣の袖ばかりさし出して汝が望み申事たやすからずと雖も心ざし懇なり 來年二月の彼岸の結願の日の旦を期すべし 其程忘るゝ事なく念佛すべし 何なる人も志をいたせば往生は易き事なれども臨終に魔緣競ひて遂ぐること難きと仰せられつと語りて泣なく出にけり 此僧次の年の件の日ね行て見ければ思ひのごとく臨終正念にして異香空にみちて紫雲空にたなびきて往生をぞとげにけり。

承保二年の比にや西七條にしき銅細工する者ありける。 女子二人持て侍りけり、 十四十二ばかりにて母煩ひけるに此子供を念比にいとおしく思ひて夫にす/\申置ける樣穴賢、 此子供のありつかん程繼母に見せ給ふなと泣々申してはかなく成にけり、 男契り置し事をも忘れて幾程なく妻をなんもふけたりけり、 今も昔もなさぬ中のにて此娘をあながちに憎みけり、 四五日物もはせず、命を絕たんとぞしける、 姉妹北野へ參りて籠りけり晝夜淚を流して母に孝養報恩をもせぬ程の身ならば命をめせと申けり 去程に御託宣あらたにありける播守有忠驚きて姉を呼び寄せて此故を問ひて頓て取り置て妻にしてけり、 妹は宮仕へさせけるに、宮產まいらさせて目出度榮えて母の孝養思ふざまになしける、 御託宣にも孝養の志ふかきによりて感應ありて、我護りはぐくむべしとぞ仰られける、 凡天神に志をいたし、步をはこばん輩は、如何なる望かむなしかるべき。

天神の御利生によりて此女播守の妻となりて思ひのまゝに榮えて母の爲に堂塔を立て色々の善を修め、後は出家して發心の恩[2]ひに住して往生の素懷を遂にける。 云々』
(五)天滿宮御傳記 田篤胤著 干中
『抑天滿宮世に在ませる時は第一に神をび第二に親に御孝行にまし/\、君にはよく忠義を盡し給ひ。 物讀み手跡を好み給ひ。 御心正しく。 スナホに坐ませる故に、神となり給ひても、世人の忠孝のを守らず、正直ならざる者は惡み給ひ。 讀み書をきらふ者をば惠み給はねば、能々親の示し。 師匠の敎を忘れず守り、主に事へては大切に勤め、心を正直にもちて、僞はる事なく讀書手ひに精出して、天滿宮の御心に叶ふやうに心を持べし。 もし此事を守らざれば天滿宮の御罸を𫎇りて、遂には禍を受べし。 神は人の方よりは見え給はねども、人の行ひの善惡き、心の正直邪曲をもよく見徹し坐ませばなり、御託宣には諸人我前に來りて願を遂むとならば其心僞なく淸くして、鏡に向ふ如くすべしと宣へり、さて物讀み手に行ときは云ふに及ばず朝々顏を洗ひ口すゝぎて拜み奉り、月々の廿五日には御神像をかけ奉りて、御榊を奉り御酒御供、または御洗米にても奉りて手を二つ拍て拜み左の祝詞を讀べし。

掛卷カケキクカシコ天滿テンマン大自在ダイジザイ天神宮テンジングウ(吉祥院天滿宮大御前オホミマヘツヽシ[3]イヤマオロガマツ里弖リテカシコカシコ美母ミモマヲキヨアカ眞心マコトノコヽロモチコノタオマツ神酒ミキ御供ミソナヘタヒラ氣久ケクヤスラ氣久ケクキコシメシ主親キミオヤコヽロタガハシメ朋友トモダチ親族ウカラヤカラムツマ志久ジク師匠マナビノオヤヲシヘマニマテナラ物讀モノヨヨクナラ波志米ハシメタマコヽロ正直マナカミナラ波志米ハシメタマ無實マコトナトガ令免マヌガレシミタマ堅石カキハ常石トキハ壽命イノチナガヤマ志支シキコト家業イヘノナリ乎毛ツモ令興オコサシソタタ比弖ヒテカミ御祭ミマツリ先祖トホフオヤマツリウルハ志久シクツカヘマツラ志米シメタマ閉止ヘトカシコカシコ美毛ミモ祈願コヒノミタテヤツ留止ルトマヲ

と申して、また手を二つ拍ち、疊にひたと頭をつけて、御じぎを爲るが、眞の拜みなり、兩手を合せて拜むことは、合掌とて佛を拜する仕方なれば神拜には用ふべからず、 さて右の如く願い白しつゝ、身の行ひを愼み、諸事に精出すときは成就せずと云ことなし、 唯願ひにのみ右の如く白して、心を正しくせず、諸車[4]に無精して、身の行ひを愼まざるは天滿宮の御心に叶はざる故に御感應は决して無き事と知るべし、 人の親または師たる人々もよく此旨を心得て、小兒は敎立べし、 然るは小兒は大かた正直なる物なれども唯に敎へたる計にては親師匠の見るにては其敎を守る樣にして見ぬにては用ひざるなり。 常によく神の見微[5]しなる由をいひ聞しめて、信心を第一に敎ふるときは、蔭にても神の知し召さん事を恐れつゝオトナしく愼み守るやうに成て。 諺に三歲子の魂は百歲までと云ごとく年長けても其ひ性となりて善人となるなり能々この旨を味ひて敎立べしとぞ』

(六)琉球神記卷第五 干中
『前略 爾れば今の世にも流罪 死罪 籠舍等罪の輕重有之よく/\糺すべし。 法度亂れなば王位にも難あり。 大臣にも災あり。 世安からず。 况や後世をや。 へ子孫に及ぶ。 但し菅家は權者也。 權者は必實者を引く。 縱ひ由なき風俗也とも既に佛性を具足せり。 此佛性の顯るゝは則ち諸佛なり。 隱るゝは則ち衆生なり。 經云、一切衆生悉有佛性と不輕菩薩は四衆を禮し、意[6]法師は螻蟻をも喩すとなん。』
[1]「り」は余分な気がしますが、よく分かりません。
[2]「思」の誤植かもしれませんが、原文通り表記します。
[3]フリガナの「ミ」が抜けています。この他にもフリガナの明らかな間違いや誤記と思われる個所が複数ありますが、すべて原文通りに記載します。
[4]「諸事」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。
[5]「徹」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。
[6]「惠」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。

更新日:2021/02/11