吉祥院天満宮詳細録 第七章 p222 - 226
|第七章 (7/8)|
爾彼王遂命終亦焼崇福法隆東大延暦[1]等諸大寺是即使者王所作也 如其悪神等滅法害生之我延喜王独受其殃譬如衆川之水呑一大海也 又自余眷属執彼火雷王其数雖計或崩山振地壌[2]城損物或吹暴風疾雨人物併損害或行疾病火死之病或令戒者発乱逆之心或令大人条嘲弄之乱凡国土天下一切不祥十六万八千悪神所作大政天能制止若干眷属無制止是災害非専当時各非大王福公卿運只此日本太政天怒怨所致也 金峰八幡等諸大菩薩等我満徳天堅執不許故不而巳而総天下愚人不災難之源鎮護善神還処[3]損害之咎甚可憐哉 此天神心為根本一切災難争発云々 以何方便済之云々 今須調和彼太政天王怨心兼以之抜苦修法云々 仏子汝我此慇懃数当主上並摂政大臣宜早為先帝生天及天下安穏立天祠請彼太政天咎祈福告従山北建立一小天祠求清浄持律僧一口使其祠咎祈上レ福者諸太政天常住所分行南西二方諸国政故其天天祠前庭樹令橋左右花樹裁列可号大威徳天祠又大津北極一小天祠建立大天於其所行東北二方諸国之政故置清浄僧一口咎祈請可日本大天詞[4]又此天神屡住爰頂雷峰常城中遊行嵯峨野請神行故可立水中大沢池是相応地也 其池正中為一小島築堅巳了其地雑不踏但除建立問其宮殿八面楼閣八方開戸一切荘厳如彼本城周匝作軒廊高不閣八面開戸島形如壇山水不高奇巌立樹栽行其池塘上以為馬場多栽花樹可路島東西建立二憧其上安日月形家表形鋳造之亦其池北山建立一小堂置五大明王並護世一切天等像亦東方作満徳法王天像西方作彼日本太政天像各々形如東西二王但東方乗竜西方乗鳳為異可其小堂左右立一祚殿天下諸神自来住止我二天在所之処一切神明無不来其城日本太政威徳天等一切災難二天前祈願自然消滅我与此天行住坐臥同共一処為遮悪護国也 欲祈請者常四月十五日十月十五日減設音楽公卿相共供養三宝及二天又毎年正月一日大王自幸可年中祥福浄行僧六口法華三昧阿闍梨一口真言大法又以士兵令衛一レ又改天慶三年太政元年大臣号永為摂政大臣延喜通宝為太政大宝一天下大政天之心也 一切王法不旧式又道俗成業有沈淪者諸司有労各令有慶賀赦天下常以忠勤之心是之善天下泰平災難巳銷又金峰浄刹閻浮檀金之根至於輪際故雖壌却金峰不懐此権現牟尼我所奉之尊也 四時之中其三時一切道俗参会供養奉仕満願唯厳寒時無人承事年分度者一人置冬籠師子号香燃供養天下鎮護攸令彼主上及臣下不慇懃之教誨仏子汝為俗降三宝救護衆生寧不誦経典一可此天祠之事也 仏子令貧道無力年堪此事小堂建立未半況此大事乎 天王曰汝無世間之福猶削出世之富須率一切四衆己身天下誰不応汝若不我此誨我為大障汝修道冬籠之事若不之汝当籠可奉仕一レ之汝若我言行我当汝作外護者我捨化楽天勝楽此卑少城是為利物護国也 我深念彼日本故慇懃伝此治国要方而巳我子孫親眤人々何不哀憐乎 仏子奉天王命巳了即至本宝殿窟如上事一々申金剛蔵王大菩薩我令汝知世間災難衆生苦脳[5]之根源広作仏事益衆生故令一切普聞知宣即申手摩項曰人身難得汝巳得之仏身難見汝能見能護三業不得放逸離地獄生天堂宣教既畢重教洛起入巌穴即得蘇生也 干[6]時八月十三日寅時也 入死門経十三筒[7]日具迎来僧侶五筒[7]日記也云々』

右一巻大和国内山永久寺所蔵干嘉永四年秋八月不図感得写云雖末法威神力呵護而存者午実尊神御垂跡之因縁可畏可仰寺受土之生共預太政天化益可其浄土列眷属之一人者也

権上座実誠欽記

[1]「檀」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[2]「壞(壊)」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[3]対応する返り点「一」が見当たりませんが、原文通り表記しています。 以下、返り点に関する記載漏れや誤記らしき箇所が複数ありますが、数が多いので注記を省略します。
[4]「祠」の誤記と思われますが、原文通り「詞」と表記します。
[5]「惱(悩)」の誤記かもしれませんが、原文通り表記します。
[6]「于」(ハネあり)の誤記と思われますが、原文通り「干」(ハネなし)と表記します。
[7]「箇」の誤記かもしれませんが、原文通り表記します。

更新日:2021/01/30