吉祥院天満宮詳細録 第九章 p278 - 283
|第九章 (7/7)|
(三二)詩の一部
杜鵑花伏原三位宣諭
経雨朝来紅朶多 花容自似酔顔〓[1] 秪〓[2]啼血痕深浅 昨夜杜鵑幾度過
松陰避暑為栄
社南社北万松陰 日午自無炎気侵 林下移床忽忘夏 樹頭蝉響聴鳴琴
松陰避暑長材
松高枝密樹陰涼 風滌暑煩日影長 此𥚃蒼然冷如水 梢声早巳報秋光
無題在光
梅樹々辺経過人 祖神拝罷賞精神 幽香清色雨奇絶 祠内春如姑射春
無題夏長
松梢風度晩涼浮 洗尽煩襟万慮𠇾 不求殿閣千間庇 好向翠陰先借秋
無題為栄
日暖南部淑気匀 梅花似雪十分新 賞心不只題詩句 一朶乞翁供祖神
無題為定
偃蓋重々聳彼蒼 翠陰脱帽独徜徉 此中自有松涛起 忽払炎威送晩涼
無題長説
数樹長松繞社頭 森々鬱々緑陰稠 仰看蓋影正無夏 俯聴風声巳有秋
(三三)梅渓集詩序云 干中
元亀戍戍[3]春遊城南吉祥寺村宿一菴云々』
(三四)梅渓集 干中
発亥[4]春岐陽光遠知蔵僑居干城南吉祥寺今将故里予以贈言 因賦一絶其命
客舎城南過一春 錦嚢風月歩編新 朝来独出吉祥寺 孰若別花兼別一レ人   雪嶺
(三五)明治三十四年九月
侯爵黒田長成殿参拝 金壱封奉納
(三六)明治三十五年菅公一千年祭の際名家九十八名の書画奉納あり其芳名
(書)朝鮮正一品錦陵尉朴泳孝氏  (詩書)大竹温九拝氏  (画)契月絵氏  (歌書)正七位孝禥氏  (詩書)高本繁敬具氏  (歌書)調子氏  (詩書)颿山清原柊氏  (詩書)南湫緒方羽敬題氏  (歌書)従二位泰顕氏  (画)耕寒筆氏  (詩書)南岡氏  (詩書)服部轍氏  (画)曠谷筆氏  (文書)後学中島純氏  (詩書)錦山矢土勝之氏  (詩書)正五位勲三等秋月新太郎氏  (詩書)近藤元粋氏  (画)掃雲筆氏  (歌書)張輔氏  (詩書)西川光拝詠氏  (詩書)堤青富氏  (詩書)達〓[5]民氏  (画)泰山氏  (詩書)晴涛立松英氏  (詩書)香霞尖〓[6]氏  (詩書)華城小野善拝奠氏  (画)玉洲氏  (詩書)高野清雄氏  (詩書)松坡田辺新氏  (画)鴨江松山寿氏  (詩書)梅崕山本霊氏  (詩書)香嶺神田酻氏  (詩書)苔園田部密氏  (詩書)山田迪氏  (詩書)山本𣸪一氏  (詩書)後学福井緐氏  (画)吐月氏  (詩書)春耕近田隣氏  (詩歌書)正三位源清氏  (詩書)荒貞公氏  (歌書)源行範氏  (画)秀鳳氏  (詩書)高島正粛氏  (画)直嶺氏  (詩書)谷銭臣氏  (詩書)正木聳山氏  (詩書)土屋𩡶耳門氏  (画)秋涛筆氏  (書)乾坤雲氏  (書)山県有朋氏  (詩書)周峰福原公亮氏  (画)奉亭氏  (詩書)春日井謙氏  (詩書)秋水長谷川才元氏  (詩書)就洞湯川信敬氏  (詩書)頼潔氏  (詩書)月村藤竜氏  (画)正六位田中之雄氏  (詩書)後藤〓[7]氏  (詩)村上正誼氏  (詩)択堂青再氏  (詩)矢野朗氏  (詩)東海道人泰氏  (歌)正四位藤原雅之氏  (詩)鶏林安泳中氏  (画)三舟日柳愬氏  (詩)帆山清原栓  (詩)北越布衣高橋茂氏  (詩)鑑海田龢氏  (詩)月城居士秀氏  (詩)永年居士氏  (画)五雲氏  (詩)田中義文氏  (詩)鶯谷田祐氏  (詩)猪木祈再氏  (詩)童山清水享氏  (画)秋宗氏  (詩)田中正誠氏  (文、歌)七十有八叟宍夫氏  (画)春水氏  (詩)小林卓蔵氏  (詩)恕孝氏  (詩)玉置正氏  (詩)津田要氏  (詩)適処県篤氏  (詩)晩紅園和久光徳氏  (詩)華外茅名俣氏  (詩)虚堂伊藤紀氏  (詩)高島崇氏  (画)巴汀氏  (詩)実砍氏  (詩)桂邨山〓[8]氏  (詩)畊研平孟氏  (詩)山口寛氏  (詩)野島菊栄女史氏  (詩)生駒章氏    以上
(三七)昭和三年四月菅公一千二十五年祭の際
正四位男爵前田直行殿より金壱封奉納
従二位勲三等子爵唐橋在正殿参拝金壱封奉納
従三位貴族院子爵五条家御令嬢並御付一人参拝金壱封奉納
(三八)昭和三年六月十日
御歌所冷泉伯爵並御家族二十五人同道参拝金壱封奉納 宝物拝観せらる。
(三九)歌林四季物語 干中
『廿五日の聖廟の神事やむごとなきことなるべし、氏の公卿、おのおのつどい、からころもおしてきたのの神ぞとは袖にもちたる梅にてもしれ、心だにまことの道にかないなばいのらずとても神や守らん、の二くさの御歌を句のかみにおき、あるは、その要字をとりて、から歌にのべつらねて、又たいさく、けんさく、秀才なりなどいうも、みな此日をこなわるなるべし。 これ則菅丞相道真公、延喜三とせけふになん、つくしにておわらせ給う日なれば、あさましきまでの法会にて、神道のまことをつくし御代ながくさかゆく春に立のびさせおわしませとの御事なるべし。』
(四〇)中右記云
寛治六年三月廿八日今日有吉祥院聖廟作文是寺僧依有夢想告也』
(四一)四条天皇の御宇文暦二年二月廿三日、大学頭前長門守殿より加賀国笠間卿[9]富墓庄柴山庄を神領とし永代法華八講料所として奉納
『右者往古無年貢興廃地也 雖然仁者楽山依因縁 宣旨申請神領○施入永法華八講料所云々』
[1]〓の漢字は[肙它]です。
[2]〓の漢字は[朱冬]です。
[3]梅渓集の著者である雪嶺永瞳の没年は天文6年(1537)です。元亀年間(1570-1573)では年代が合いませんし、また元亀年間に戌年もありません。 「文亀壬戌」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[4]「癸亥」の誤記と思われますが、原文通り「発(發)亥」と表記します。
[5]〓の漢字は[至支]です。
[6]〓の漢字は[扌名]です。
[7]〓は[惣]の[勿]を[隹](と少し違う)に置き換えた漢字です。
[8]〓は[移]の下に[大]を加えた漢字です。
[9]「郷」の誤記と思われますが、原文通り表記します。

更新日:2021/02/06