『提出者 吉祥院天満宮社掌右[5]原定正
寺名 吉祥院又ハ吉祥天女院
所在地 京都府紀伊郡吉祥院村大字吉祥院小字宮ノ前
旧地 同レ右
宗派名 本、天台宗 今名義浄土宗
寺格 三所御霊
山号 南北山海中寺
通称 吉祥院天女堂
旧名 吉祥院
創立年代 大同三年六月
創立由緒 菅原清公卿遣唐使として入唐の際海難にあう。
伝教大師大吉祥天女を祈りて無事を得たり、清公卿帰朝後自天女の尊像を刻み庭上に一宇を建立し伝教大師とはからいて尊像を安置す。
中興年代 菅公左遷と共に一時衰う。
豊臣秀吉より大いに衰え。
神仏混淆廃止より一層大衰す。
中興事跡 菅家の盛衰と当吉祥院天満宮の盛衰と事を同くす。
開山 菅原清公卿と伝教大師
開基 菅原清公卿建立 伝教大師開基
特別保護建造物(物名、指定年月) なし
国宝(品名、指定年月) なし
本寺沿革概要 菅原清公卿は天女の尊像を自ら彫刻し伝教大師とはからいましまして当菅原院庭上に一宇を建立し尊像を安置し吉祥院と号し国家鎮護の祈祷所とし又以て菅家守護の本尊とし給う。
時は大同三年六月なりき。
其後毎年春秋に大法要を行い給いしが清公卿薨後御忌日なる十月十七日を以て毎年大法会を修せらる。
まして清公卿生前自像を自ら刻みて共に安置しあればなり。
菅公の父是善卿八月三十日当地にて薨じ給いしが遺命に依り元慶五年十月廿一日より四日間大法会を修せられ又母公伴氏の御遺言ありし十一面観世音の尊像も成就し給いしかば当院に安置して開眼供養せらる時に菅公三十七歳なり此事菅家文草吉祥院法華会願文に明かなり。
其後菅公自ら父是善卿の像を刻みて当院に安置し給う。
承平四年朱雀天皇の勅により当吉祥院天満宮を創祀せしより毎年二月廿五日及十月十三日を以て大祭法会を行い来りしが豊臣秀吉公当領地及御朱印其他全部取り上げしより大衰し名義上寺にして事実吉祥院天満宮と同様にして祀る。
本寺縁起並参考書類
吉祥院天満宮縁起、近畿歴覧記、山城名勝志、吉祥院村三善院巻物、伝教大師伝、菅家伝、拾芥抄、雍州府志、天神記図絵、大日本地名辞書、扶桑京華志、山城名跡巡御志、つきねぶ、京羽津根、国花万葉記、北野縁起、天神古事巻物、年中行事、名所都鳥、都名所図会、京師巡覧集、日次紀事、北野誌、京都聚書等
年中行事と主要法要 吉祥院天満宮の年中行事と等し。
十月十三日御例祭の節には当村の寺僧達本年より大般若を修む。』