第五番 |
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西山宗 本山 本尊 仏眼曼陀羅 |
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平安中期の長久3年(1042)源算上人がこの地に草庵を結び、往生院と号したのが始まりで、健保元年(1213)法然上人門下の西山上人証空(善恵国師)がここを不断如法念仏道場とするとともに名も三鈷寺とあらためた。 これは背後の山容が密具の三鈷に似ているからといわれる。 中世は浄土宗西山派の根本道場として多くの寺領や末寺を有した。
本堂の前からの眺望は大変すばらしく、江戸時代に書かれた「都名所図絵」に「二大仏七城俯瞰の地」と記され、京都市内、宇治方面が一望できる。
出所:『らくさい 京都洛西観音霊場札所案内』
更新日:2022/08/18