第六番 |
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真言宗豊山派 本尊 八幡弘法合躰太子像[1] |
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寺伝によると当山は640年頃、推古天皇勅願、聖徳太子が十一面観世音菩薩を本尊として創建された乙訓地方最古の寺である。 弘法大師は弘仁2年(811)乙訓寺の別当に嵯峨天皇から任命され、この寺に在住された。 現在の御本尊は大師が造られたと言われる秘仏である合躰大師であり33年毎に開扉がされている。 現在の十一面観世音菩薩は、長谷型といわれるお姿で本堂内に安置されている。
陽春には二千株のぼたんが見事に咲く。
出所:『らくさい 京都洛西観音霊場札所案内』
≪表門≫
大きな「弘法大師ゆかりの寺」碑が目立ちます。 |
≪本堂≫
長岡京遷都の責任者だった藤原種継の暗殺事件に連座して、桓武天皇の皇太子であった弟早良(さわら)親王が幽閉された地として有名です。 また、弘法大師空海が別当を務めている時に、最澄が訪ねてきて空海と出会ったこともあるそうです。 |
≪牡丹の花≫
元は松並木の美しいお寺でしたが、昭和9年(1934)の室戸台風で松並木がほとんど倒れ、その被害をご覧になった長谷寺のご住職が、昭和15年(1940)頃に長谷寺から牡丹を2株寄進されたのが乙訓寺の牡丹の始まりだそうです。 例年4月中旬から5月初旬に「乙訓寺・ぼたん祭り」が行われていますが、令和3年は中止となりました。 |
[1] | 寶印帳(朱印帳)に記されている「本尊 十一面観世音菩薩」は札所本尊の意味です。 |
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更新日:2021/04/20