第二十一番 |
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浄土宗西山禅林寺派 本尊 阿弥陀如来 |
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当山観音堂の御本尊・十一面観音菩薩は、八尺余りの尊像で「結びの観音」と称されている。 仁明天皇の承和15年叡山の高僧・慈覚大師の作とされ叡山に安置されていたのを、高倉天皇により松室の峰ヶ堂[1]の本尊として移された。 その後応仁の乱等、兵火を逃れ転々と難を避けて、下津林村の五社神社の傍らに建立され、永福寺と号された。 その後、長福寺に合併され今日に至る。
また、平成7年の阪神大震災により、倒壊寸前となった五社神社の観音堂が現在、長福寺の堂内に新たに増築されている[2]。
出所:『らくさい 京都洛西観音霊場札所案内』
新築されたばかりの新しい本堂です。 |
大きく立派な観音様で、見た目のバランスをとるためか通常より一段低い床に安置されていました。 |
≪五社神社≫
五社神社境内の観音堂(旧・永福寺)には、観音像が長福寺へ移されたことを記した札が貼られていました。 |
[1] | 『拾遺都名所図会』には次のように記されています。 「峯堂(=法華山寺)の本尊薬師仏は、今下山田の内小堂に安置す、尊像所々焼損ず。 谷堂(=最福寺)の本尊十一面千手観音は今下津林村に安置す」 |
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[2] | 既に本堂は完成しており、観音像は本堂内に安置されています。 |