旧二十三番
く おん ざん かん ぎ じ
久遠山 歓喜寺

札所本尊十一面観世音菩薩
御詠歌なにしをう つきのかつらの のりのふね
 こえてくおんの はなのみやこへ
住 所〒615-8027
市西京区桂朝日町
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備 考

 バスや車が行きかう大通り[1]から、ちょっと入った路地の奥に、歓喜寺は、ふるい民家と軒を並べていた。 向かいには、新しい住宅が並び、むかしはともかく、いまでは〝巷の中〟に建つ霊場である。

 山門もなく、寺のイメージにはほど遠い農家風のつくりで、せまい境内の片すみに古い小さな墓が六、七基夏草におおわれていた。 そのむかし、この寺に住んだ住職を葬ったものらしいが、いまは無住。 寺のいわれを伝えるものも残っていない。

 近くの地蔵寺の住職で、歓喜寺の仏事について世話をしている寺田辨誠尼は「明治廃仏毀釈で、さびれたのでしょう。 でも、歓喜という寺名は、時宗の〝歓喜踊〟からきているようで、一遍上人とゆかりがあるのかも……」と推測する。

 一遍上人は、鎌倉末期の僧で、〝踊念仏〟を興行しつつ各地を遊行時宗を開いた。 一遍上人伝によると、「弘安7年(1284)4月、四条京極の釈迦堂に入り、同5月桂に移る」とある。 それがこの寺と一遍上人を結びつける〝何か〟を感じさせるようだ。

 寺のいわれはともかくとして、世間に忘れられていた無住の霊場を支えてきたのは地元の人たち。 十一面観音もいまに伝えられ、弘化4年(1847)11月の奉納と記された「ご詠歌」の額もかけられている。 それと同時に、寺の本堂は地元の集会場に使われ、地蔵寺に奉納する桂六斎念仏の練習場にもなっていた。 その六斎念仏はいま、やる人がほとんどいなくなり、霊場めぐりが復活のきざしをみせている。 地元の人の話では、たまに参拝に訪れる人があり、集印帳もつくったという。 人の世の変遷の一コマがここにも息づいていた。

出所:『洛西の観音さん 霊場めぐり』(1979年)

≪旧下桂町ガレージ・歓喜寺跡≫
 場所はかつら飴本家養老亭があった所のすぐ南。 旧下桂町有財産として管理された月極駐車場になっています。
≪墓石・石仏≫
 駐車場の片すみに墓石や石仏が複数残されています。 その中の「尋空俊常上人義雲和尚位」と書かれた卵型の無縫塔(むほうとう)は住職を葬った墓と思われます。
≪石碑≫
 これも駐車場の一角に残された石碑で、歓喜寺に関係する遺構と思われますが、残念ながら私には読めません(泣

[1]山陰街道のことです。桂川街道(正式名:京都市道久世梅津北野線)はまだありませんでした。

更新日:2026/02/21