第五番 |
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天台宗 本尊 十一面観音菩薩 |
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陽成天皇(877〜884)の御世、越前守藤原高房卿が、西国に赴く途中、一人の漁師が大亀を殺そうとしているところを、助けてやりました。 翌朝航海中に、海が荒れ、子供が海に転落しました。 救助不能な荒波の中、昨日の大亀が子供を背中に乗せて救出し無事でした。
時を経て、その子が中納言藤原山陰卿となり、妻と一子の家庭を築きますが、妻が病死し、後妻を迎えます。 後妻は自分の子の出産後、先妻の子が疎ましくなり、太宰府長官赴任の船旅中、その子を海に突き落とします。 悲嘆にくれた山陰卿がその子を探していると、以前自分を助けてくれた大亀が、その子をも救ってくれました。
山陰卿は、二度までも厄難を救ってくれた大亀は観音様のご加護だと感謝し、長谷寺十一面観音像を模造し、春日仏師による8尺の大像を前立として、吉田神楽岡のふもとの邸宅に新長谷寺を建立しました。
明治の廃仏毀釈の時、真如堂境内に移転されました。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
広大な敷地の真如堂境内にあって、うっかり見過ごしてしまいそうな本堂だけの小さな塔頭寺院です。 |
奈良の長谷寺と縁のある新長谷寺ですが、奉納額も長谷寺のものでした。 |
更新日:2015/11/29