第九番 |
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浄土宗 本尊 阿弥陀如来 |
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当寺の御本尊聖観世音菩薩は、唐の徳宗皇帝より献上された香木伽羅を、桓武天皇の勅命を以って伝教大師が彫刻されたと伝えられています。
高僧に帰依聞法し、仏法興隆に努められた徳宗皇帝時代の唐で、ある日天変地異が起こり、海中から香木伽羅が引き上げられ、直ちに御殿に納められました。 その夜、皇帝の夢枕に観音様が現れ「我は信心厚い唐と東の国の人々を救済する為に身を分かち香木として現れた。 取り急ぎ日本に送るべし。」と言われたそうです。徳宗皇帝は、宸翰を以って由来を記し、霊木伽羅を日本に送られたのでした。 桓武天皇はこれを嘉納し、観音様を彫刻させられ、お祀りするために長岡宮近郊に大宝寺を創建されたのです。 その後、平安遷都と共に現在地に移りました。
平家都落ちの際、戦火を被り灰燼に帰した当寺でしたが、1185年、法然上人の門弟見佛上人によって後白河法皇に奏上、復興されました。 法皇が崩御された時、見佛上人は御菩提回願のため法然上人を請待して別時念仏を修行、六時礼讃を諷誦しました。 これより当寺は別時念仏六時礼讃の道場となり寺号を引導寺と改称、天台宗から浄土宗寺院となりました。 その後、法然上人御在世の砌(みぎり)、別時念仏六時礼讃の道場であった当寺を慕われ、最後往生の地に選ばれた知恩院第三十二世雄譽霊巌上人により青龍寺と改められました。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
いわゆる観光寺院ではないため、多くの観光客が気にも留めずにこの前を通り過ぎていきます。 |
≪本堂≫
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更新日:2015/11/29