第十七番 |
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天台宗 本尊 十一面千手千眼観音菩薩 |
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三十三間堂は、正式には蓮華王院[国宝]といい、長寛2年(1164)鳥辺山麓[現・阿弥陀ヶ峰]の後白河上皇、院政庁「法住持殿」の一角に平清盛が造進した。 約80年後に焼失したが、すぐに復興に着手し、文永3年(1266)に再建された。 その後、室町・桃山・江戸そして昭和と四度の大修理により、700年間保存されている。 長いお堂は、和様の入母屋・本瓦葺きの総檜造りで約120メートル。 内陣の柱間が三十三あるところから「三十三間堂」と通称され、堂内には1001体もの観音像がまつられる[等身立像の中、124体はお堂創建時、平安期のもの]、中尊[国宝]は高さ3メートル35センチの丈六仏で、檜材の寄木内刳造りで表面には漆箔、目には玉眼がはめこまれている。 作者は運慶の子、大仏師湛慶の82才の時の作で、鎌倉彫刻の円熟期を代表する仏像である。 その他堂内観音群像前列の二十八部衆像[国宝]と風神・雷神像[国宝]もまた鎌倉期を代表する傑作である。 また境内南の通称「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門は、ともに豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重文建造物である。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
≪本堂≫
丈六の千手観音坐像を中心に、1001躯(うち5躯は東京・京都・奈良の国立博物館に寄託)の等身大の千手観音立像が整然と並ぶさまは、まさに壮観であり見る者を圧倒します。 そんな観音像の前でご朱印をいただきます。 |
≪通し矢射場≫
江戸時代はこの本堂西軒下(長さ約121m)で通し矢が行われました。 毎年1月に行われる現在の通し矢は軒高による制限のない射程60mの特設射場で行われるもので、江戸時代の通し矢とは全く異なります。 |
更新日:2015/11/29