第十八番 |
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真言宗泉涌寺派 本尊 阿弥陀如来 |
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善能寺は、もと八条油小路にあって二階観音堂と言いましたが、弘仁14年(823)弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号されました。
弘法大師の伝記に依りますと、弘仁14年4月東寺の南門に稲を荷った老翁が訪れ「私は八条二階観音堂に住む柴守長者で、無者の者に福を与える者である。 あなたの仏法を守護します。」と申されました。
大師は喜んで、赤飯を供養し法華経を講じてもてなしました。 そして長者を「稲荷大明神」と尊称し、お住まいの二階観音堂を善能寺と名付け、御本尊を聖観音、又稲荷社を祀って懇ろに供養されました。 当時の稲荷社は、その尊い由緒で知られるように、日本で最初に祀られた稲荷大明神で数多の人々の信仰を集めていたことが窺い知ることが出来ます。
天文20年(1551)後奈良天皇の綸旨によって、泉涌寺の護持院として当山塔頭今熊野観音寺の西北に移されました。
明治維新を経て荒廃し、明治20年(1887)再興の時に現在地に移ったのである。
現在の御堂[祥空殿]は、昭和46年北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」の遺族谷本氏が、すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願され、建立寄進された。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
ここに御住職はいらっしゃいませんので、ご朱印は泉涌寺でいただきます。 |
≪祥空殿≫
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更新日:2015/11/29