第二十四番 |
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浄土宗 本尊 阿弥陀三尊 |
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当山長円寺観音堂内に奉安される聖観音は、昔一条天皇の御代(986〜1011)平安京に疱瘡が流行し、これを嘆いた大納言藤原親衡公は天禄3年(972)名僧恵心僧都に依頼し作らせ得ていた観音像を宮中に奉安し、21日間祈願法要されたところたちまち疱瘡は治まった。 それ以来疫病よけの霊験あらたかな観音様として祀られている。
当時開山超蓮社大譽上人浄阿清巌大和尚は昔三河の国永安寺の住職であったが、応仁の乱後、京都の諸寺の荒廃を嘆き、天正15年(1587)に入京し、清水観音の霊告により当時比叡山に安置されていたこの聖観音を空地であったこの地に小庵を建立し奉安されました。 これが現在の観音堂の創立である。
開山上人64歳慶長13年(1608)のとき、当時京都所司代板倉勝重公は上人に帰依され、約800坪の土地を寄進し慈覚大師作の弥陀三尊を安置する本堂および庫裡客殿を創建された。 その後天明8年(1788)正月31日京の大火[1]の際に堂宇を焼失したが、第十五世瑞譽上人が両本尊を守られ直後に再建された。 しかし昭和6年(1931)再度火災に遭い両本尊と観音堂および山門のみ残り、翌昭和7年現在のように再建された。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
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[1] | 「天明の大火」と呼ばれる京都の歴史上最大の火災。 天明8年(1788)正月晦日(1月30日)の未明に鴨川の東の団栗辻子の民家から出火し、2月2日早朝まで二昼夜燃え続けました。 |
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更新日:2015/11/29