第二十五番 |
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真言宗泉涌寺派 本尊 不空羂索観音 |
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鎌倉時代末期にあたる嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会う。 その後、江戸時代の初期寛文4〜5年(1664〜1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂の手により現在の地に再建される。 寛文の再興以来、駿州田中城主本多家の京都における菩提寺となり本多氏の当主の位牌は幕末まで当院に安置されることになる。 寺内には正貫が建立した三河出身で徳川家康などに仕えた父本多正重の石碑が、正貫・同夫人及びその家臣等の墓とともに本多山より移されている。
現在の本堂は英照皇太后御大葬の御須屋を賜ったもので本尊はあらゆる人を救う羂索[投げ縄]をもつ不空羂索観音。 一面三眼八臂のお姿でこの世では病なく、財宝を得、水難火難を除き、人々に敬われ慈悲の心で暮らすことができるなどの利益を得られ、死に臨んでは苦しみなく浄土に導かれるなどの利益を得るという。 書院は伏見桃山城の遺構の一部であり、泉涌寺七福神の寿老人を祀る寺として信仰を受けている。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
更新日:2015/11/29