第二十七番
ふく じゅ さん びょう どう じ
福聚山 平等寺
真言宗智山派
本尊 薬師如来
札所本尊十一面観音菩薩
御詠歌まよいいで ここはいなばの ひがしむき
 こころはにしへ はこびぬるかな
住 所
電 話
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備 考通称:因幡堂、因幡薬師


 当山は長保5年(1003)橘行平卿の私邸を寺とし、その孫の光朝禅師を本願として創建されました。 本尊薬師如来は日本三如来に数えられています。

 因幡堂縁起によりますと、橘行平卿が夢告により、因幡の国賀留津の海中より薬師如来を引き上げ、仮堂に安置されました。 行平卿の帰京の後、尊像は京都に飛来された行平卿の屋敷に入られた。 行平卿は屋敷を寺としこれを祀ったのが当寺の始まりです。 長保5年4月8日のことです。 因幡の国には後光と台座だけが残り、座光寺と呼ばれ現在も残っています。

 当寺は町衆の寺として特に芸能に縁が深く一説には浄瑠璃発祥の地ともいわれ、また、狂言にも「因幡堂」「鬼瓦」など、当寺を舞台にした演目が残っています。 室町時代より猿楽狂言が何度も上演され、江戸時代には因幡堂芝居と呼ばれる歌舞伎興行が行われていました。

 また当山に伝わる二体の十一面観音は元、北野天満宮に祀られた観音様で、東寺の観智院を経て当寺に来られ、観音堂本尊として安置されました。

出所:『洛陽三十三所観音巡礼』

更新日:2015/11/29