第三十一番 |
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真言宗泉涌寺派 準別格本山 本尊 十一面観音菩薩 |
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北野天満宮二の鳥居の西側に位置し、堂宇が東を向くことから東向観音寺と呼ばれている。
寺伝によれば、平安時代初期、桓武天皇の勅願によって創建された朝日寺を前身とし、寺僧の最鎮らが天暦元年(947)に北野天満宮を創建した。 菅原道真公が幼い頃勉学に励んだ場所といい、応和元年(961)には太宰府の観世音寺から道真公自作の十一面観音像を移して本尊とした。
鎌倉時代末期の応長元年(1311)に無人如導宗師が中興し、泉涌寺派の律院となって寺号も観音寺と改められた。 如導宗師は南北両朝の天皇や足利尊氏公の帰依を受けたといい、寺は北野天満宮の神宮寺として整備され、本尊は天神の本地仏として信仰を集めた。
慶長12年(1607)、豊臣秀頼公が北野天満宮を再建した時に建立されたのが現在の本堂[京都市指定文化財]で、江戸時代には天満宮の奥之院とも称され、一条家の祈願所ともなった。 明治時代初期の神仏分離後、天満宮の三の鳥居近くから境内に移された巨大な石造五輪塔は、四十九日の喪が明ける50日目に詣でる「忌明塔」として知られ、道真公母君の墓という伝承もある。
出所:『洛陽三十三所観音巡礼』
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更新日:2015/11/29