天龍寺七福神 第五番 |
|
臨済宗天龍寺派 本尊 十一面観音 |
|
永明院は応永二十年(一四一四)に創建された寺ですが荒廃し、文禄二年(一五九三)水野守信が父・水野監物の菩提をとむらうために再建したものです。 水野監物は戦国時代の武将で尾張国常滑藩の城主でした。 連歌や茶道に秀で、明智光秀とは趣味を同じくして交友しました。 このため、天王山の戦いでは光秀に味方し、敗戦後は天竜寺で入道となり余生をおくっておりましたが、慶長三年(一五九八)四月、豊臣秀吉の追及をうけ天竜寺山内で割腹しました。 墓地の宝塔が守信、そばの小さな五輪塔が監物の墓です。
ここに恵比須さんをお祀りしたのは昭和初期の阪急嵐山線開通のときで、西宮の恵比須神を勧請いたしました。 木造で身の丈約二十センチ、本来の厳しいお顔です。 そばには大黒さんも祀られています。
長い間、節分の日だけお参りできましたが、昭和六十二年に恵比須堂が完成し、商売繁盛や交通安全の祈願者が多くなりました。 毎月十日、二十日に祈寿祭[1]を行っています。
出所:『京の福神めぐり』田中泰彦著
法堂(選佛堂)前の福引所で福引を行い福豆の大袋をゲット。気分良く5番の永明院へ。 |
≪恵比須天堂≫
お堂に掛けられた紫幕の紋は「丸に立ち沢瀉(おもだか)」といいいます。永明院は常滑水野家の菩提寺で、この家紋は水野家と同じだそうです。 |
[1] | 「祈祷祭」の誤植のように思いますが、原文通り表記します。 |
---|
更新日:2018/06/10