新京極八社寺
か がく ざん とう ほく じ せい しん いん
華嶽山 東北寺 誠心院
真言宗泉涌寺派
本尊 阿弥陀如来
ご利益 知恵授け・恋授け
住 所
電 話
URL
備 考

和泉式部が初代住職
恋・知恵授けのお寺

 平安時代中期、宮廷で女流文芸が花開いた時代、その奔放な生き方と華麗な歌の詠みぶりで強烈に光を放った歌人、和泉式部のために、関白藤原道長が今の府立医大付近にあった東北院内に小庵を建てたのが始まりという。 和泉式部は老後をこの庵に住み、その死後、法名の誠心院をとって寺号として[1]と伝えられている。

 「あらざらむこの世のほかの思い出に今ひとたびのあふこともがな」

出所:『新京極8社寺 フォトブック』


 新京極通に面した門の幅は狭いのですが、中に入ると予想以上の本堂の大きさと境内の広さでした。 明治5年(1872)、京都府知事の命令で境内に新京極通が造られ境内地が二分されるまでは、現在の2倍の面積があったそうです。
≪和泉式部の墓(宝篋印塔)≫
 正和2年(1313)に改修建立された高さ1丈6尺(約4.8m)の宝篋印塔で、謡曲「誓願寺」の舞台になっています。
 またその背後には、和泉式部が女人往生を遂げたことに由来する二十五菩薩来迎の石像があります。

[1]「寺号とした」の誤植と思いますが、原文のまま表記します。

更新日:2014/12/24