乙訓鎮座神社 |
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祭神 |
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天津彦火瓊瓊杵尊をご祭神とする当社は九世紀中頃には存立し延喜式神名帳に記載の簀原大明神が前身とされている。 しかし詳細は明らかではない。
古文書によれば、十二世紀はじめ簀原の地に建立された火止津目大明神が桂川の大洪水で流出し、下流の久我の地に再建された。 当社は流出の跡地に簀原大明神を奉じて鎮座したものと思われる。 十三世紀頃社名を乙訓坐火雷神社に、十六世紀頃菱妻神社に変更したとされる。
五穀豊穣、家内安全にご神徳が厚い。
境内に相殿で磐裂(石神)、加茂、春日、蛭児、松尾、稲荷の各末社が、境外に祠はないが走田、簀原、茨田の各末社がある。
御旅所に神輿のほか天狗面、木槍を所持する。
祭礼は現在五月第一日曜神幸祭、第二日曜還幸祭のほか、一月歳旦祭、二月年當、八月御千度を行なう。
出所:『菱妻神社』説明板
背後の道路整備に合わせて、鳥居も新しくなったのでしょうか。 |
説明板によれば、700〜800mほど南の伏見区久我にある菱妻神社の前身神社とのこと。 末社の簀原社と茨田社は、延喜式神名帳にある式内小社の簀原(スハラノ)神社と茨田(マタノ)神社の後裔社との説があります。 |
更新日:2022/01/18