乙訓鎮座神社
ひし づま じん じゃ
菱妻 神社
祭神 
社格等旧村社
住 所
電 話
URL
備 考久我の産土神

 当神社は平安時代十二世紀の初め、鳥羽天皇の永久元年(一一一三年)二月に、久我家の祖右大臣源雅実みなもとのまさざね公が、奈良の春日大明神から、藤原氏の祖神、天児屋根命あめのこやねのみことを勧請し、源氏の守護神として火止津目ひしづめ大明神を崇め奉ったことに始まる。

 はなやかな御せん宮が行はれたことは、

千種ちくさの花を 手につみいれて
 御所へ参らせ 御所へ参らせ

と、はやされた当時の古歌からも偲ばれる。

 御鎮座当時は、広大な神領社殿があったが、桂川の大洪水におかされ久寿元年(一一五四年)には字を菱妻ひしづま大明神と改められ、以来今日まで久我の郷の鎮守の杜として、又学問運[動?]上達の神として御神徳が高い。

出所:菱妻神社『由緒』説明板


 名神高速道路が参道を横切り、社域はかなり狭くなっている印象ですが、今も多くの氏子に支えられているようです。
 社務所は割拝殿を入って右手奥にあります。

 「火止津目」は「火鎮(ひしづめ)」の意味で文字通り火を鎮める神でしたが、久寿元年の大洪水を機に、水と関係する「菱妻(ひしづま)」の名に転訛したそうです。

更新日:2022/01/18