乙訓鎮座神社 |
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祭神 |
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当社は八世紀末平安遷都に先立ち桓武天皇が山背長岡に遷都された頃(七八四年延暦三年)王城の艮[1]角の守護神として御鎮座になったものと伝えられる由緒深い延喜式内社である。
別雷神・建角身命・玉依比売命の三柱を御祭神とし賀茂両社と同体であり、古来鴨森大明神とも号し久我の郷人をはじめ諸人の平和安全方除け発展を守護する神として御神徳が厚い。
また久我の杜と[い]って久我の渡りとともに歌にもよまれている。
木〻にけふ つた[紅葉?]せり 久我の杜
淀のわたりや 時雨しつらむ
出所:久我神社『由緒』説明板
周囲はすっかり住宅地になっていますが、参道は老木に集まる小鳥たちのさえずりに包まれ、江戸時代に森大明神と呼ばれたのも納得です。 |
ここは本殿と拝殿の間が屋根で繋がっています。 本殿の背後は竹林になっており、私が訪れた日は氏子の方々が竹を切り出して手入れ(?)をされていました。 |
[1] | 艮(うしとら)とは鬼門にあたる北東の方位のことで、都の守護の為に寺社が配置されました。 平安京で言えば、比叡山延暦寺や滋賀県の日吉大社がそれに相当します。 |
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更新日:2022/01/18