乙訓鎮座神社
は つか し に ます たか み むす ひ じん じゃ
羽束師 高御産日 神社
祭神 
社格等旧郷社、式内大社
住 所
電 話
URL
備 考地域(羽束師?)の産土神

 当神社は雄略天皇二十一年(四七七)に創祀され生成霊力の御神徳をおもちの皇産霊神二柱を奉斉しています。 皇産霊を「ミムスヒ」と言い「ムス」はものの生成を意味し、成長する力を「ヒ=霊力」と言います。 又、高皇産霊神は高木神とも申し、神の依ります神体木(神籬)に縁の深い御名で明らかに田の神の降臨をあおぐ祭にかかわりのある農耕神の信仰をになう天つ神であります。 随って五穀豊穣を祈る人々の間に稲霊を崇めるムスビ信仰が育まれ、特に収穫時に新穀を神と共に新嘗(ニイナメ)する農耕行事は最も重要な祭儀として、高皇産霊神、神皇産霊神が祀られてきた。 この行事は弥生時代から現在まで時代の変遷を超え種々の文化要素を習合しつつ新嘗祭となり勤労感謝の日となって今猶生活の中に伝承されています。 続日本紀大宝元年(七〇一)四月三日の条に「勅して山背国渡都賀志の神等の神稲は自今以後中臣氏に給へ」とあるのは当社に属する斎田から抜穂して奉祭し祭人中臣氏が新嘗祭を行ったことを示唆する資料といえます。

 本殿の左右に天照皇大神を始め十一神が祀られています。 大同三年(八〇八)に斎部廣成公が諸国騒擾の多き様を憂い安穏を祈願する為、平城天皇の奏聞を得て勧請造営された御社です。

 延喜式の制では(九六七)大社に列格され四時祭には官幣に預り臨時祭は祈雨神に座して天下豊年の御加護を垂れ給いました。

<略>

 毎年五月第一日曜日の御出に始まり同第二日陽の還幸祭には氏子区内古川町、菱川町、志水町、樋爪町を大神輿が青年会の人等によって担がれ巡幸します。 併せて子供神輿も境内を練り歩き大変賑わいます。

出所:『羽束師坐高御産日神社』説明板


 運転免許の更新でお世話になる京都府警察自動車運転免許試験場の近くにあります。 いつも横目に見ながら通り過ぎていたのですが、初めて参拝しました。

 御神酒の振舞いがあり、大変美味しい升酒を塩を舐めながらいただきました。 また、神輿を担ぐ祭の写真のカレンダーも無料でいただきました。
 御朱印の内容も含め、乙訓鎮座神社の中で一番高ポイントです。

更新日:2022/01/18