乙訓鎮座神社
はしり だ じん じゃ
走田 神社
祭神 
社格等旧村社、式内小社
住 所
電 話
URL
備 考奥海印寺・長法寺の産土神

 奥海印寺おくかいいんじ長法寺ちょうほうじ両村の産土神うぶすながみ。 式内社で、「延喜式」にのる乙訓十九座の一つである。 祭神は天児屋根命あめのこやねのみこと武甕槌神たけみかづちのかみ経津主神ふつぬしのかみ姫大神ひめおおのかみの春日四柱をまつる。

 かつては「妙見社みょうけんしゃ」と言われ寂照じゃくしょう院の鎮守であったが、明治以後、正式に「走田神社」と呼ばれるようになった。 社名の「走田」は初穂をつくる田を指し、早稲田わせだの守護神であったであろう。 なお、正月十三日には御千度詣おせんどまいりや弓講ゆみこうが行われる。 また、明治初め頃まで同じ祭神をまつ小倉おぐら神社(大山崎町円明寺)の神輿みこしがこの社まで渡御とぎょし、その道がまだ古老たちによって語り継がれている。

出所:『走田神社』長岡京市観光協会駒札


 海印寺寂照院の裏山にあたる場所にあります。 写真の鳥居を抜けて坂を上ると次の鳥居が左手にあり、そこからは階段が続きます。
≪本殿・覆屋≫
 参道には「妙見大菩薩」や「妙見宮」の文字が刻まれた石灯篭がありましたが、「妙見宮」の文字には上から埋めたような跡が見られました。 明治初期の神仏分離令の際、仏教に関係するものを消すため埋められたのかもしれません。

更新日:2022/01/18