西大路七福社 |
|
祭神 |
|
「続日本紀」(しょくにほんぎ)によると、奈良時代末期の延暦元年(七八二)、平城京の田村後宮に祀られていました。 桓武天皇による平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたのが平野神社の創建になると考えられています。 「延喜式」(えんぎしき)によれば、全国で唯一の皇太子御親祭が定められた神社です。 中世には荒廃しましたが、江戸時代寛永年間に平氏嫡流の公卿、西洞院時慶により再建されました。
再建された本殿は、第一殿と第二殿、第三殿と第四殿がそれぞれ空殿を挟んで連結する形式を採っており、「平野造」と称される当社独特の形式で国指定重要文化財です。 中門前に建てられている拝殿は、慶安三年(一六五〇年)に東福門院によって寄進されたものといい、京都府指定文化財です。
当社は古くから桜の名所として知られ、境内には約五十種四百本の桜があります。 平安期には貴族たちが様々な桜を楽しみ、江戸期には庶民にも夜桜が許され、「平野の夜桜」は京都を代表する花見の名所となりました。 平野神社原木の桜も多く、約一ヶ月半という長い期間、各種の桜を愛でることができます。
出所:『三十五年の歴史を積み重ねて− 西大路七福社ご利益めぐり』
更新日:2017/02/11