京洛八社 |
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祭神 |
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社地は約一千年前、天神様すなわち菅原道真公(八四五〜九〇三)の紅・白梅殿というお邸や、菅家廊下(かんけろうか)と称する学問所の跡で、また公、誕生の地と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されている。 仏光寺通を中心に南北二町、東西一町が当時のお邸で、公、太宰府へ左遷に当り
東風吹かばにほひおこせよ梅の花
主なしとて春なわすれそ
と詠まれた飛梅の地である。
神社は公没後間もなく創立されたが、度々兵火にかゝり、鎌倉期には南北両社に分れ、当社を天神御所、白梅殿社、北社を紅梅殿社と呼んでいた。 応仁の乱後慶長十九年に、菅家ゆかりの曼殊院良恕法親王により再興され、今日に至っている。 この間、天明の大火、元治の兵乱で再度焼失するが、現本殿は、天保六年(一八三五)造立の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という下鴨神社の旧殿を、明治二年に移築し、その後幣殿を建立して、いわゆる八棟(やつむね)造をなしている。
出所:『菅大臣神社』駒札
本殿は西向きで、北・西・南から3本の参道が本殿前でTの字に交わる珍しい形をしています。 境内には産湯の井戸があり、菅公誕生地の伝承がある京都市内の天満宮3社のうちの1つです。 |
天満宮には珍しく神像が安置されていました。 |
更新日:2019/01/26