南山城古寺 第三番 |
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真言宗智山派 本尊 十一面観音 |
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真言宗智山派に属し、大御堂(おおみどう)とも普賢寺(ふげんじ)とも呼ばれる。
寺伝によると、天武天皇の勅願で義淵僧正が親山寺(筒城(つつき)寺)を建立し、奈良時代に聖武天皇の勅願(ちょくがん)により、天平十六年(七四四)良弁僧正が再び造営し、伽藍(がらん)を増築、親山寺を取り込み、息長山(そくちょうざん)普賢教法寺(ふげんきょうほうじ)と号し、良弁の高弟実忠和尚(かしょう)を第一世として。 またその時に大御堂本尊として丈六観世音を安置したという。
この観世音が今に伝わる十一面観音立像(国宝)であると伝えられる。 この像は、等身大の木真乾漆(もくしんかんしつ)造であり、少年のような初々しい顔だち、引き締まった肉付きの良い体驅など、天平彫刻特有の緊張感がある。
奈良聖林寺の十一面観音とよく比較されるが、ともに官営の造仏所で同じ奈良時代後半頃に製作されたものであろう。
出所:『観音寺』京田辺市教育委員会/京田辺市文化財保護委員会駒札
≪本堂≫
この写真だけを見ると伽藍の整った寺院のように思えますが、、、 |
≪鐘楼と「二月堂丈送り復活の地」碑≫
本堂から少し離れた原っぱの間にポツンと建つ鐘楼の姿が、本堂が立派なだけに余計に侘びしい。 |
≪般若絵心経≫
これは文字が読めない人のために考案された絵解き般若心経です。 釜が逆さで「マカ」、般若の面で「ハンニャ」、腹で「ハラ」、箕(み)で「ミ」、田んぼで「タ」、神社の鏡で「シンキョウ」と読んでいきますが、東北地方から広まっただけあって鋤(すき)を「シキ」と読ませるなど、訛りが少し混じっています。 これも現住(ご住職)による奉納でした。 |
更新日:2018/01/03