南山城古寺
第九番
げん こう じ
覆養山 現光寺
真言宗智山派
本尊 十一面観音
住 所
電 話
URL
備 考

 現光寺の創建は、定かではありませんが、鎌倉時代の木造十一面観音坐像(重要文化財)を本尊としていますので、中世には存在していた寺院ですが、近世初頭には、荒廃した二間・三間の草庵に尊像が祀られていただけで、一時衰退していたようです。

 江戸時代のはじめ頃、丹波国篠山の出身で、槇尾山岩松院で修行していた雲松実道が十一面観音を参拝に訪れたところ、その堂舎の荒廃を嘆き、自ら再興の願いを起こし、当時南都周辺の寺院をまとめていた興福寺一条院の眞敬法親王に願い出て、藤堂藩や賀茂郷の大庄屋などの賛同を得て、延宝九年(一六八一)に堂舎を新たにして再興されました。

 雲松実道律師は、学問や仏教教学全般に明るく、真言密教や戒律だけでなく、禅にも精通していました。 雲松がいつ頃現光寺を訪れたのか定かではありませんが、現光寺を再興する直前の延宝七年(一六七九)、奈良市の山村にある円照寺の開山大通文智女王や侍僧文海尼らに招かれ、円照寺で菩薩戒を授けています。 雲松と円照寺のつながりは深く、円照寺には雲松によって授けられた菩薩戒の礼状や東福門院より拝領した聖観音を現光寺に送った書状などが伝えられています。 また、興福寺とのつながりも親密で、大智寺の復興や眞敬法親王を介して後水尾天皇や東福門院とも関係を持っていました。

 雲松実道は、木津の大智寺を復興した本寂律師が亡くなった延宝四年(一六七六)、その後を継いで第二世となっています。 現光寺を再興後、宝永四年(一七〇七)四月廿二日に現光寺で示寂しますが、その後も藤堂藩の庇護もあって、現光寺と円照寺の関係は続きました。

出所:『現光寺』特別御開帳パンフレット


 京都非公開文化財特別公開(2017年11月1日〜12日)で一般公開されることを知り、現光寺を訪れました。
 普段でも10名以上で電話予約すれば拝観できることになっていますが、実際には管理する海住山寺さんの都合がなかなか合わず、拝観は難しいそうです。
≪本堂≫
 檀家が少なく寺の維持が大変だそうで、本堂は床が抜けそうなほど傷んでいるため入れません。 ただ、海住山寺に管理してもらうようになって、参道(進入路)が修繕されるなど少しずつ整備が進んでいるそうです。
≪収納庫≫
 本堂に安置されていた十一面観音坐像(重文)と四天王像ですが、現在はこの収納庫に安置されています。

更新日:2018/01/03