南山城古寺 第十番 |
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真言宗智山派 本尊 弥勒摩崖仏 |
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笠置寺の創建は古い、すでに二〇〇〇年前から笠置山の巨岩は信仰の対象となっていた。 この事は笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生式時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかる、しかし実際に建物が建てられ人が住みついたのは一三〇〇年前である。
一三〇〇年前東大寺の実忠和尚、その師良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻されその仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたのである。
平安時代永承七年(一〇五二)以後世の末法思想の流行とともに笠置寺の大磨崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰をうけたのである。
鎌倉時代建久二年(一一九一)藤原貞慶(後の解脱上人)が日本の宗教改革者としてその運動を笠置寺から展開するとき笠置山は宗教の山、信仰の山として全盛を極めた時であった。
しかし元弘元年(一三三一)八月二十七日倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当寺に迎えたことにより攻防一ケ月ついに笠置山は全山焼亡以後室町時代少々の復興を見たが江戸時代中期より荒㾱[1]、ついに明治初年無住の寺となった。
明治九年丈英和尚狐狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興につくすこと二〇年ようやく今日の姿となったのである。
出所:『笠置寺』パンフレット
≪本尊・弥勒磨崖仏≫
残念ながら現在は光背の形しか分かりません。 |
≪虚空蔵菩薩磨崖仏≫
こちらは線刻の虚空蔵菩薩像がはっきりと見えます。 |
≪ゆるぎ石≫
重心が中央にあるので人の力でも動くらしいですが、どうしてなかなか。 |
≪解脱鐘≫
基底部が6つに切り込まれた日本に一つしかない形式の鐘です。 |
[1] | 漢字の意味的には「廃」の方が正しいように感じますが、原文通り「㾱」と表記します。 |
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更新日:2018/01/03