京都守護職新選組巡礼 |
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本山修験宗 総本山 本尊 |
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寛治4(1090)年、白河上皇の護持僧・増誉大僧正の開創で、本尊は不動明王。
明治維新まで代々皇族や摂関家が住職を務め、光格天皇と孝明天皇の時代、御所が火災に遭った際の仮皇居となりました。
元治元(1864)年、会津藩が寺領の聖護院村に 37,000 坪の練兵場を作り、洋式兵法の訓練をしたことが記録に残っています。
出所:プレスリリース(2021年9月16日)資料
聖護院と京都守護職(会津藩)の関わり
聖護院は広大な寺領を持ち、その中には村や森が広がっていました。 その一角に幕末の1864年2月、京都守護職練兵場が作られました。 京都守護職の本陣となった、くろ谷金戒光明寺はすぐ東となります。
幕府から軍備の拡張をを命じられ、洋式練兵法を取り入れようとした京都守護職・会津藩主の松平容保が勝海舟や佐久間象山らに助言を求めるなど、力の入った軍事演習場であったと思われます。 藩の軍事機密とされたためか、はっきりとした演習記録などは現在見つかっていません。 聖護院寺領内、鴨川沿いに3万7千坪の土地を用意した記録が残っており、ここに会津藩の副邸や練兵場が営まれたようです。
出所:聖護院門跡参拝のしおり
更新日:2021/10/09