大覚大僧正ゆかり 北龍華 |
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日蓮宗 本山 本尊 |
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公家の信仰を得た北龍華
開山日像上人、開創日実上人。 日像上人に帰依し、篤信者であった小野妙覚尼が、自ら居邸を寄進し建立された。 法尼の名「妙覚」を冠し寺号を「妙覺寺」とした。
文明十五年(一四八三)には、将軍足利義尚の命により室町二条(現在の妙覚寺町)に移転。 この頃、山内塔頭百余、末寺一千とも称された。
天文五年(一五三六)京都法華宗を震撼させた天文法華の乱によって、堂宇は焼失し、第十二世の日兆上人が殉教。
天文十一年(一五四二)帰洛の勅許が出され、同十七年(一五四八)復興したが、天正十年(一五八二)の本能寺の変では、織田信長の子である信忠が、明智光秀に襲撃され、火を放ち自刃したため、諸堂が焼失した。
天正十八年(一五九〇)に寄進により現在地へ移転した。 表大門は聚楽第の裏門を寛文三年(一六六三)に移転した貴重な遺構である。
出所:『大覚大僧正ゆかりの京都本山めぐり』ポスター
更新日:2020/11/20