京都六地蔵 第二番 |
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浄土宗西山禅林寺派 本尊 阿弥陀如来 |
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恵光山(えこうざん)と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院である。
寺伝によれば、寿永元年(一一八二)の文覚(もんがく)上人の開基で、境内に袈裟御前(けさごぜん)の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから、恋塚の名で知られている。 平安末期の北面の武士・遠藤盛遠(もりとお)は、渡辺左衛門尉渡(さえもんのじょうわたる)の妻・袈裟御前に恋し、渡と縁を切ることを迫ったところ、袈裟御前は夫を殺してくれと盛遠にもちかけ、操を守るため自分が夫の身代わりとなって盛遠に殺されてしまうという悲恋の物語が伝わる。 自分の罪を恥じた盛遠は出家して文覚上人となり、袈裟御前の菩提を弔うために当寺を建立したとされている。 本堂には、十二世紀に作られた本尊阿弥陀如来立像を安置し、観音堂には、十世紀の作とされる十一面観音立像(市指定有形文化財)を祀っている。
また、地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁(おののたかむら)が一度息絶えて冥土(めいど)へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、一般に「鳥羽(とば)地蔵」と呼ばれている。 毎年、八月二十二・二十三日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者でにぎわう。
出所:『恋塚浄禅寺』京都市駒札
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≪地蔵菩薩像≫
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更新日:2014/09/08