京都六地蔵 第五番 |
|
浄土宗知恩院派 本尊 阿弥陀如来 |
|
千松山(せんしょうざん)遍照院(へんしょういん)と号する浄土宗の寺院である。
貞観五年(八六三)、僧円仁(えんにん)により、天台密教の道場として千本今出川(上京区)に創建されたと伝えられている。[1] その後、文明年間(一四六九〜八七)に春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興され、後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄三年(一五九四)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改められた。
地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁(おののたかむら)が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、「鞍馬口地蔵」「深泥池(みぞろがいけ)地蔵」、「姉子の地蔵」などの愛称で親しまれている。 この地蔵は、当初、小幡の里に祀られていたが、保元年間(一一五六〜五九)に、洛北の深泥池のほとりに祀られ、更に当寺に移されたものといわれている。 毎年八月二十二・二十三日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者で賑う。
出所:『上善寺』駒札
六地蔵めぐりの寺院の中で唯一、上善寺の前に露店が立ちます。 |
≪地蔵菩薩像≫
|
[1] | 現在、千本今出川の上京区南上善寺町にも上善寺がありますが、こちらは上善寺が現在地へ移転した跡に元上善寺として再建された天台真盛宗の寺院です。 Web上では浄土宗上善寺の所在地を上京区南上善寺町とする誤った情報が見られます。 |
---|
更新日:2014/09/20