京都八本山 第六番 |
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日蓮宗 由緒寺院・本山 本尊 三宝尊 |
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「鍋かむり日親」の名で知られる久遠成院日親上人が開創した当寺は、京都旧市内では唯一の多宝塔をはじめ、天正十六年(一五八八)に建てられた経蔵、本阿弥光悦・長谷川等伯筆の書画が多く格護されている。 昭和六十二年、日親上人五百遠忌を迎え、境内整備が行われ、「涅槃会館」が完成した。
縁起 日親上人は上総(千葉県)の人で、中山法華経寺五世の治部卿日〓[1]上人について得度、京都で辻説法をはじめたのは応永三十四年(一四二七)のときである。 上洛して九年目の永享八年(一四三六)、東洞院小路に本法寺を建立した。 後、後花園天皇より法印大和尚位を受けるとともに四条高倉の地を賜り、康正元年(一四五五)に再建した。 しかし、上人が鎌倉に巡錫のため不在のとき、禅宗五山の一つである東福寺僧衆の破却を受け、長禄四年(一四六〇)に三条万里小路に再興した。 さらに一条戻り橋辺に移り、天正十五年(一五八七)、豊臣秀吉の都市改造により現在地に移った。
現況 現在の建物は天明八年(一七八八)の京都大火で経蔵・宝蔵を除いて類焼し再建されたものである。 本堂は寛政九年(一七九七)のもので、正面の扁額は本阿弥光悦の揮毫と伝う。 「北辰殿」の額を掲げ、釈迦・多宝の二仏を安置する多宝塔は、建立年代は寛政年間とみられ旧市内では唯一の遺構。 多宝塔の南にあり北面する経蔵は、天正十六年(一五八八)に造られたもので、当寺最古の建造物である。 建物はすべて文化財。
枯山水の庭園「巴の庭」は光悦の作で、国の名勝、大小三つの島を配置。 枯滝石組が据え置かれ、それより流れ落ちる様相を表現、十の切石による蓮池は妙なる息吹を感じさせる。
出所:『日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねて 日蓮宗本山めぐり(2003)』
≪仁王門≫
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≪本堂≫
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[1] | 〓は[暹]の右上の[曰]を[罒]に置き換えた文字です。 [暹]の異体字のように思われますが。。。 |
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更新日:2017/06/11