近畿三十六不動尊 第十九番 |
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天台宗 本尊 熾盛光如来 |
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青蓮院と聞けば、青不動尊と庭園とがすぐに頭に浮かんで来る。
国宝の青不動明王画像は、高野山明王院の赤不動画像、大津三井寺の黄不動画像と共に、日本三不動として有名である。 三井寺の黄不動は秘仏、門外不出であるためか、それに代わって近頃は京都曼殊院の国宝黄不動画像をもって日本三不動と云われている。
青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(青蓮院、三千院、妙法院)の一つであり、五ヵ室(天台宗の京都にある五門跡、即ち、青蓮院、曼殊院、妙法院、三千院、毘沙門堂)の一つである。
青蓮院は比叡山延暦寺の東塔(根本中道のある一群)の南谷、即ち大講堂の南側の崖下の駐車場になっているところに、山上の僧侶の住坊として、天台宗の開祖最澄(伝教大師)がお建てになった青蓮坊が、そのはじまりである。 その後、延暦寺の法灯を継いだ慈覚大師や、安恵等の住居となり、東塔の主流坊として織田信長の焼打ちまで維持されていた。
この青蓮坊の12代で、天台座主の行玄大僧正(藤原師実の子)の時、いたく天台宗に帰依された鳥羽法皇が、その第7皇子を行玄の弟子とされ、法皇の御所に準じて、京都粟田口の現在のところに殿舎を建て、坊を院と改称されたのが、門跡寺院としての青蓮院のはじまりで、行玄が第1世、鳥羽法皇の第7皇子覚快法親王が第2世門主である。 山上の青蓮院は、青蓮院門跡の山上本坊ということになった。
出所:『近畿三十六不動尊』から抜粋
更新日:2018/11/02