大正11年(1922)、京都の郷土史家・田中緑紅(たなかりょっこう)らの勧めで京都七福会が結成され、京都七福神が始まりました。
松ヶ崎大黒天の妙円寺が少し離れていますが、それ以外は歩いて回れる距離にあり、戦前は大変な人気だったそうです。
なお、第四番の福禄寿は遣迎院でしたが、昭和30年(1955)に遣迎院が上京区寺町広小路北之辺町から北区鷹ケ峰光悦町へ移転し、その後、清荒神に変更されました。
更新日:2016/01/23